豊田英二社長との出会い
トヨタ自動車工業株式会社(現在のトヨタ自動車株式会社)の豊田英二社長(当時)に初めてお会いしたのは1972年1月の就職試験。いきなりの社長面接でした。私は東京を離れる気はなく、すでに東京で就職先を決めていました。
ただ、大学の先輩がトヨタの採用係長をしていて、名古屋の実家にまで連絡をいただいたので、とりあえずお断りにトヨタに出向いたところ社長面接がセットされていました。
当時の日本は右肩上がりの高度経済成長真っただ中で就職戦線は完全な売り手市場。
箱根山より西にあるトヨタは東京の学生に全く不人気で採用に苦労していました。
豊田社長からは2つ質問されました。その1つが以下です。「アメリカでマスキー法というのができて、車の排ガスに含まれるCO2など地球環境に悪い成分を大幅に削減しなければいけない。現在の開発状況は、『エンジン改造や新たな部品の装着などで、原価・販価が2割上がる』、『走行性能(パワー)と燃費は2割落ちる』。こんな車が売れると思うか?」でした。
私はマスキー法の詳細など知りませんでしたが、入社するつもりもないので生意気を顧みず、思った通りに、以下答えました。
「部品点数が増えるし開発工数もあるのだから原価・販価が上がるのは理解できる。ただ、そのまま2割UPではメーカー努力がゼロ。頑張って1割アップに抑えるべき。あと1割は、地球にやさしい良い製品になることをお客さんに理解してもらうこと。それに、今は毎年10%程度の賃上げがあるのだから、車両価格の10%アップダメージは2~3年で消える。」「走行性能と燃費の2割ダウンはメーカーとしてあらゆる努力で元の水準に戻すべき。」
豊田社長は、何も知らない生意気なだけの若造に怒ることも見下されることもなく耳を傾けていただき、「そうだな・・・。」と言われただけでした。
面接終了後、採用係長から「合格だからぜひトヨタに来い・・・。」と言われましたが、そのまま東京に戻りました。翌日、豊田英二さんはまだ当分社長を続けるだろうから、東京の会社よりトヨタの方が面白いかもしれない・・・と思いはじめ、数日後には先輩にお世話になりますと伝えました。